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2011.03.29 (Tue)

海 

いつものことながら、厨二病な事を考えてみた。



自分が最終的に望むものってなんだろう。



※余談 海といえば三人のおじさん

【More・・・】

目標や夢とは違って、最終的に望むもの。
その目標や夢の果てに望むもの、といった感じでしょうか。

夢は何かと聞かれれば、もちろん「作家」と答えます。後は結婚することとか。


作家になって望むもの――。
いろんな人に自分の書いた小説を読んでもらいたい!
自分の思いを感じ取って欲しい! 共感して欲しい!
空の境界を読んで味わったような、あのわくわくや感動を人に与えたい!


・・・。


結婚して望むもの――。
しあわせな家庭を築きたい! 子供をもちたい!
人に愛されたい! 人を愛してみたい!
その人とずっと一緒に人生を歩んでいきたい!


・・・・・・。



こんなところでしょうか。
うん、思いつくままに書いてみたんで、おそらくこれは合ってるんじゃないかな。
いえ、こういうこと考えててたまに「これは違うだろ」というような事も浮かべるので。



じゃあ、この果てに望むもの。

うーん。うーーん。うーーーむ。
こう見てみると、あまり共通したものはないですね。
てか「作家」と「結婚」ってだいぶ違うから当たり前か。
仕事と愛ですもんねぇ。仕事と私のどっちをとるの!ってアレですからちょいと無理があるか。さっきの議論はなんだったんだろう。




えー、えっと、はい。
で、ではですね、改めて自分が最終的に望むものを考えてみます。


というか、既にもう答えは出てます。
これ書いてる最中に、もう直感的に浮かんじゃってます。
こう、何もあれこれと考えず、理屈抜きで出てきたといいますか、まさに「直感」というか・・・。
自分が一番あてにしている直感様による発言なんで、きっとこれが最終的に望むものなはず。



自分が最終的に望むものは、「平穏」だと思う。


のほほんと暮らしていけるような、自分のペースで生きていけるような。
言い換えれば日常? 変わらずに日常を歩んでいく・・・とはちょっと違うか。
やっぱり「平穏」を望む。
何も起きない、人ともすれ違わない、なんてのもとちょっと違って、むぅ、どう言えばいいか。

よし、こう言えばいくらか分りやすいかも。



人生を「海」に、そして自分をその「海」を旅する「サーファー」と喩えてみます。
おう、いいねこのどことなく夢のある感じ。



この海を旅するサーフボードが止まることはありません。
後戻りすることも、急にぶっ飛ばすなんてこともないです。
操れるのはたぶん斜め左に進むか、前か、斜め右か、おそらくこの程度。横は・・・どうだろう。
他には、「波」に乗って飛ぶとかそのおかげでスピードが上がるとか下がるとか諸々。


この海では何もしなければ「平穏」か?
たぶん、そうじゃありません。だって海ですから。

何もしない。
すなわち、来る「波」について知ろうともしないし読もうともしない。
それではいい様に波に踊らされたり、あまつさえ転覆しちゃうことだってあるでしょう。
それじゃ平穏どころか、もはや混乱とか不穏とかそんな言葉になっちゃうぜ。oh…


――たとえば、こういう人がいる。

ものすごく高い波が来た。
他の人はその見たこともないような波に驚き、慌てふためいた。
でもその人は実に悠々とした顔で波に向かい、その波の勢いを利用してひょいっと飛んで、波の向こうへと軽々と越えてしまった。


何も波が起きない日があった。寒い寒い冬の日。まったくの無風海域。
他の人は、これじゃ前に進めない、これからどうすればいいんだと悲嘆に暮れた。
なかには手や足でサーフボードを漕ぎ始める人もいたが、ただやみくもに漕ぐんじゃどこに進むか知れたもんじゃない。
漕ぐコツを知らない者はどうすればいい?

――急に波が来たらどうする、ちゃんと体勢を整えておかねば波に飲まれるぞ。
――漕いでいきたいけど海は冷たい。手足がかじかんでしまう。凍傷なんて御免だ。
――そんなのは厭だ、平穏に旅をしたい。

他の人が思う中、その人は言う。


「じゃあ、楽しい話をしよう。飽きるまで」


他の人は驚いた。怒る者もいた。おまえはなんてたわけたことを言うんだ!
でもその人はそう言って聞かない。楽しい話をしよう、と今までの思い出話なんかを始め出した。
仕方なく、他の人はそれに付き合うことにする。

その人の話は、すごく面白いわけではないが、どこか面白いものだった。

ぽかぽかした気持ちのいい日だったので、ついついうたた寝をはじめたとか。
うたた寝をしていたら、それに釣られて隣でサーフィンしていた人もうたた寝を始め、その隣の人もと連鎖していったとか。
その人が本気で寝かけてふらりと横に倒れたら、隣の人も隣の人もとドミノ倒しになっていき、一番端にいた力持ちの彼が止めてくれてなかったら危なかった、とか。

なんとも馬鹿みたいな話だが、その人はこんな馬鹿なことをずっと話し続けるものだから、他の人はたまりかねてあははと笑い出した。俺もこんな話があるんだ、と便乗する者もいた。
そうしてみんな笑ったり、話したりと体もほかほかになりながらやってると、あろうことかいつの間にか春になっていた。
海は冷たくない。波も出てきたようだ。そうしてその人は言う。

「あぁ楽しかった」



・・・えーっと、期せずして小説っぽくなってしまいましたが。
予想外に多くなったので、読み飛ばしてもいいよの意で斜体にしたりもしてますが。どうしてこうなった。


つまり、どんな波が来ても動じない。
というか波を知り尽くしている、容易く読むことができる、果てには波を操ることすらできる。
海がどんな状況下にあってものほほんと、自分のペースでサーフィンすることができる。


それが自分が最終的に望む「平穏」ではないかと思います。


もちろん、そう簡単に平穏なんて訪れてはくれません。
波なんて色んなものがあるみたいですし。
低い波、高い波、連続した波。他にも渦潮や嵐、とある世界には突き上げる海流なんてのも・・・。


でもそれはそれ。
何もこの海を一人でサーフィンしてるわけじゃあないですし。

先人が波について何か残してくれているかもしれない。
他のサーファーが自分が知らない波を経験していて、自分も他のサーファーが知らない波を経験していて、その波の情報を交換し合うことだってできます。
転覆しそうになっても誰かと一緒ならその人が助けてくれる、なんてこともあるでしょう。


そんな風にしてたくさんの「波」を知り経験して、そして「海」そのものを理解していく。



そうして初めて訪れるものが「平穏」なのだと、自分は思います。



ずいぶんと長くなりましたが、こんなところでしょうか。自分が最終的に望むもの。
作家になるとか結婚するなんてのも、その「平穏」を得るためのひとつの手段なのかもしれませんね。
それを通じて、「海」にあるたくさんの「波」を知ることができますし。

あれ結局、夢と望みとが繋がってしまった。
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